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受講生の声
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息子の家庭内暴力、娘の摂食障害を乗り越えた無意識の力 40代女性 仲村さん
苦しんでいるお母さんたちが、楽に楽しくなってもらいたい
お名前 | 仲村 ゆりかさん
(なかむら ゆりか) |
---|---|
受講講座 | NLPベーシックコース、NLPスタンダードコース、NLPプロフェッショナルコース |
資格 | NLPプラクティショナー、NLPマスタープラクティショナー
NLPコーチ プロフェッショナル心理カウンセラー |
経歴 | 二児の母親。塾講師。保育サポート・ファミリーサポートを15年以上おこない、主に子育て中のママ、拒食症のお子さんを持つママのカウンセリングをしている。 |
その他 | ブログ 「自分も子供も愛せるママになれる」新宿御苑前子育て相談室 |
松島 ではよろしくお願します。まず仲村さんの立場やご職業を教えていただいてもよろしいですか?
仲村さん(以下敬称略) 幼稚園の年中から小学校6年生までを対象にした塾の講師をしています。子育て支援のボランティアや保育サポートの支援もしています。
松島 学び始めたきっかけはなんですか?
仲村 最初は他社で心理カウンセリングの勉強をして、進路に悩んだときにそこの先生からNLPの講座が開講するという話をきいて、「きっと仲村さんはおもしろいと感じると思うよ」と言われたんです。半信半疑で行ったら、成果が目に見えて出るのでおもしろく、「やりたい、やりたい!」とずっと思っていました。その後何年か経ち、お金が無く、自分でも切羽詰っていなかったので、いつか・・・いつかと思っていました。
それから、息子の家庭内暴力がはじまり、警察、青少年センターにも行き、心理カウンセリングの勉強をしていたので、カウンセリングの先生にも相談に行ったのに何の手ごたえも無くどうにもならなかったんです。このままだと、このガラス1枚割ったら取り返しのつかない事態になるような気がしたんです。ここで何とかしないともうダメだと思ったんです。
自分の中で何十年と心理カウンセリングを勉強してきたからこそ、もう自分が変わるしか方法がないと思いました。色々やってきましたが、唯一自分が変わることが出来なかったからです。人の相談には乗れて、傾聴も出来たし励ますことも出来て、元気になりたい人は私のところに来たんですけど、そうしながらも自分が変われないと言うのが凄く苦しかったので、私に残されたのはNLPしかなかったんです。
3年か4年前に受講したときの即効性と、松島先生とちょっとやっただけなのに「なんじゃこりゃ??」っていう変化があったのを覚えています。即効性と持続性があると聞いてきたけど、今までこんなに頑張ってきて変わらなかった私が変わるわけ?と、はじめは意味がわからなかったですね。
でも、以前体験したときに自分の中でやりたいという気持ちが強く残っていて、他にも色々調べたんですが、自分が変わるにはココしかないなと思って、久しぶりに松島先生にお会いした時に、「仲村さんは疲れているのが当たり前になっているんじゃないですか。自分が楽な状態を知らないんじゃないですかね?」と言われました。私もそう思っていたので、更に先生に「簡単に楽になれたらいいじゃないですか?」と言われて、「確かに」と思って、本当に切羽詰っていたので、「だめもとでも行くしかないかな、ここしかない!」と思って飛び込んだら、本当に見る見る息子が変わっていきました。
松島 よかったですね。ベーシックコースにいらっしゃったのはいつでしたっけ?
仲村 確かちょうど1年前、去年の8月の終わりですね。7月くらいに先生たちにお会いして。そう7月22日です。私の誕生日でした。仕事も休んでいて収入も無かったので、どうしよう?とその時は冗談で話していたんですけど、でもその時に先生の一言と、ずっと努力してきたのに変われなかったのにそんなことがあるのかと思いました。
以前体験した後、次の週に仕事に行ったら自分でも変化を感じていて、さらに第三者が私の変化を認めた時に、心の中でガッツポーズしていました。
松島 自分がわからなくても、周りの方が気づいたりしますからね。
仲村 穏やかな気持ちだったので、第三者は気づかないだろうと思っていました。これは私の中だけの成果だと思っていたら、職場のベテランの講師と教師が「今日は〇〇君、落ち着いて授業できていたね。」って笑顔で言われたんです。それで、「NLPって凄い!!」って思いました。
色んな場面で試して行ったら変化していったので、家庭の中に持ち込んでみたいなと思っていました。1年前は本当に酷い状態で、辛いとかそういう事ではなかったので、そんなことやっている間に息子に殺されるかもしれないっていう感じでした。NLPをやりながらも色んな人に相談したりとかしながら積み重ねて行きました。
松島 そうだったんですね。では変化としては、どのようなものがありましたか?
仲村 私が変えたいことは息子だけで、まさか他のことも出てくるとは思わなかったです。最初は家を空けることが怖かったです。以前、家に内鍵がかかっていて入れなかったことがあったので、受講が終わって帰ると7時過ぎで息子の方が先に帰ってきちゃうので、1日出かけるのはどうしようかなと思っていました。帰るときにいつも、今日は入れなかったらどうしようと。
息子より帰る時間が遅くなる日は、友達にメールをして『今から家に帰るんだけど、もし家が空いてなかったら友達の家に行かせてね』と送っていました。友達と連絡がつかない時は、喫茶店とかで過ごして朝になると学校に行って息子がいなくなるので、見計らって、家に戻ることが昔あったので、受講に来るときは、お金より何よりそこに躊躇していたんです。「今日大丈夫かな?今日大丈夫かな?」と、いつも不安でした。
でも、あるときドアが開いていて、息子は普通にテレビを見ていたのに驚きました。私の中で裏切らない無意識と、コミュニケーションが取れるようになったのが大きいです。
松島 前は、息子さんと一緒にいないとおっしゃっていましたもんね。
仲村 そうなんです。家に帰れば息子がすぐにご飯を食べられるように、好きなものを買って帰ると決めていました。前は、お腹すいているはずなのに、これ見よがしに食事が捨ててあるんですよ。「ご飯買って来たけど食べる?」って置いていても一緒には食べなかったんです。
でも、ちょっとずれて食べたりとか、台所で立って食べたりとか、一人で食べたりとかするようになってきました。受講を始めてから、「お弁当買って来たけど食べる?」と言うと一緒に正面に座ってもくもくと食べて部屋に行くこともありました。
一番変わったのは、息子の黒い煙が取れたことです。息子の周りの空気が黒かったんです。1点を見て座っているその目が怖くて、犬も震えるくらいでした。犬がブルブルと震えるようになって本当にやばいなと思っていました。他に相談したところでは、落ち着きますからとか、お母さん神経質ですよとか、反抗期と言われました。そういう問題じゃなく、息子が意識していないところで「こいつを痛めつけてやろう」とか、そうやって思っているような気がしてなりませんでした。
それが学びに行って、ちょっとずつ変化していったんです。それでもリビングで息子がアイスを食べたりしていることに、私はまだビクビクしていて。
私は息子に背を向けてテレビを見ているんですけど、後ろから何かされるかもしれないと思っていました。そんな時は、ずっと「平常心、平常心」と思いながら、ここで怯えちゃいけないとお笑い番組を見て、「お母さんは平気よ」とか、平常心を保つのに必死でした。
でも、ある日、息子が夕飯を食べ終わった時、動かないので怖いなと思ったら、息子が後ろのテーブルのところで同じテレビを見ていました。小さなことですけど、細かいことの積み重ねでその内段々息子が首を立てに振るようになり、私が作ったものも食べるようになり、洗濯物を取り込んでおいてと言えば授業から帰ってきたら洗濯物が取り込んであったりとか、犬が怯えなくなったりとか、いつしか煙が取れました。
でも喋らないし、私が言う事に無視、ちょっとよくなったのかな?と思って喋りかけるとシカトみたいな。そんな繰り返しでした。
今年に入ってから、首を縦横に振るようになって、うんという言葉がついてくるようになって、でも機嫌が悪いと何も言わない。私が作ったものに関しては、捨てることはしなくなりました。
今は会話をするようになって、これどうなの?と聞いたら、単語を言うようになって、夏ちょっと過ぎくらいから会話になり、私は息子がしゃべったことにビックリしました。
丸々1年かかって、大学どうなの?と聞けば大学の話をしてくれて。免許も自分のお金で取りに行っていて、今年の9月には二十歳になりました。ハッピーバースデーの歌を歌ったら、笑って。写真取るよと言えば今までは逃げたのに、逃げることも無く、みんなでケーキを分けてお姉ちゃんとも会話をしていました。
松島 息子さんはお姉さんとも会話が無かったんですよね。
仲村 お姉ちゃんもそういうのを見るのが嫌だから息子をバカにしていたんですよ。「あんなやつ出て行けばいい。最低。ただのわがまま!」と言って家に帰って来なかったです。主人も単身赴任だし、みんなバラバラで。息子が嫌で私は1回家出もしたことあるんですけど。本当にパンツだけ持って出たものの何も自分のものが無くて困ったという事もありました。
この間はお姉ちゃんの誕生日だったので、かにを食べに行きたいというので行きました。会員カードに家族の誕生日を書くことがあり、そこに10月誕生日と書いてあったのを見て、お店の人が気を使ってくれて小さいケーキを持ってきてくれて「写真も取ってあげますよ」と言ってくれたんですよ。
「うちは写真を撮るような家族じゃないよ!」って思った時に、私は世間体を気にしていると気がついたんです。どうしようと思っていたら、息子が写真撮る位置に移動してみんなで撮ったんです。その写真を見たら、ちゃんとピースしていたんです。
松島 何年ぶりの写真なんですか?
仲村 10年以上かな?主人がカメラマンだったりして4人での写真は無かった。お姉ちゃんは拒食症で私と接するのが絶対嫌だったんです。親子で撮った写真が無かったですね。私と2人というのは無いんです。でも、娘も凄く変わってきて、今は娘の方が「お母さんどこどこ行こう」とか言ってくれて、今月も旅行に行くんですよ。
写真も嫌がらずに、娘も変わって息子と話すようになりました。
息子も来年は大学3年生なので将来のことを考えている話や、必要なことは伝えてくれるようになって、私も素直に喜べるようになりました。
「免許どうだった?」と聞いたら受かったというので、何も考えずに「よかったね~」と言えて、免許見せてよと言いつつ、どうせシカトだなと思ったら、免許証を見せてくれて。
そしたらお姉ちゃんも「何この写真!!」とか言って盛り上がって、本当にこういうのを私は待ち望んでいたんだなと思いました。小さい頃から無理してこういう場面を作ろうとしていたので、無理して作らなくても自然に笑える。
息子にも「今まで辛い思いさせて申し訳なかったね」と謝れたし、娘も摂食障害の時に命の危機で大変だったけど、今は復活して働いています。
摂食障害の専門の先生に、うちの子も死ぬか生きるかの所でここに来たんですと言ったら、「それはお宅の娘さんの生命力なんですよ」と言われたときに、ふと無意識のことが思い浮かんで。「そうだ!生かしてくれていたんだ!」と気づきました。
娘の心臓を動かしてくれていたのは、娘の内面だなという事に気づいて。今までは外にばっかりお礼を言っていた。近所の人とか周りにはお礼を言っていたけど、一番は彼女の心臓とかを動かしてくれていたのは彼女の無意識なんだなと気づきました。
娘に無意識シグナル(NLPのスキル)をやってみました。娘はよくわからなかったみたいなんですけど。娘は今だから、すって入ったみたいで。今あなたがこうして生きているのは、みんなのおかげでもあったけど、拒食症の時は、この子倒れるはずなのに、心臓とか、腎臓とかが人よりも強い。
その時は心臓とか腎臓が強いだけだと思っていたけど、彼女の心臓とか腎臓を動かしてくれていたのは彼女の無意識が一所懸命頑張ってくれていたんだなとその時改めて気付きました。
今まで気になっていたことが1つ1つクリアになっていって、娘にも自分が困ったときに無意識に聞いてごらんと教えたり。
娘は仕事の事とかをあまり言わないんですけど、仕事や人間関係のことをポロっと言ってくれました。「仕事の上とかで、どうしても避けられないことや嫌な人に出くわすと思うんだよね。その人に死ねとか言っても変わらないけど、あなたの状態が変わればそういうことに気にならなくなるから、自分に語りかけてごらん。」と伝えました。娘はうんうんと聴いてくれました。
「無意識は自分自身を絶対に裏切らないんだよ」と言ったら、凄く納得したと言うか。自分自身と会話すると絶対上手く行くから、ブログ書いてこうやって自分の夢に向かっていけるのも、お母さんはいつも自分自身と対話して、「今日もありがとう」と言って今まではそういう事が出来なかったけどあなたも将来やりたいことがあるでしょう?それを自分にお願いすると叶っていくよ。」と伝えたんです。
息子は暴れている時「傷ついているんだ!!」と叫びました。ずっと謝りたかったんです。でも今までは謝れなかったんです。どのタイミングで言おうかなと思った時に、二十歳の誕生日だなとずっと心に決めて、ちゃんと言うのは恥ずかしかったので、何となくリビングでゴロゴロしている時に、「傷つけて悪かったね。二十歳になったので、これからは自分のやりたいことをがんばりなさい。」と伝えました。
自分の中では、息子や娘に謝れたということが、とても大きな喜びでした。私はこういう状況を願っていたんです。
食卓を囲って、そこが小言の場ではなく、それ食べる?これ食べる?とか言って、この間も娘の誕生日の時にケーキを買って来て今年は丸いケーキを二度も買ってくることになって。何十年ぶりに食べました。
冗談を言うと、息子がニヤと笑うようになって、それが求めていたことなのかなって思います。娘が「お母さんがずっと求めていたことっていうのが、ひとつひとつ叶って来たんだね」と言ってくれました。心に響いたかどうかはわからないんですけど。「あなたもそうやってごらん」と話をしました。やっと49年目にしてここまで来られました。そう思うとココに習いに来なかったら、今頃、男性不振に悩み、男の人にカリカリし、旦那さん、息子にカリカリし、娘も家庭の中で何かあったときに不幸な人生を歩まなければいけなかったかもしれないと思います。
あんなに苦しんで、何十年カウンセリングを学び、ロールプレイもし、カウンセラーと名のつく本を出しているような先生とお話をしてきたのに、何も納得できなかったのは何だったんだろうと思います。
「それがあったから今があるんじゃなない?」と言われますけど、「あの何十年は何だったんだろう?」と夢のようです。1年でこんなに変わるなんて・・・。
別に凄いまじめにやっていたわけではないんです。楽しんで1日すごして、自分を認められるようになって、沈んだときにどうやって過ごせばいいかを考えられるようになって、どうでもいいことはどうでもいい事として考えられるようになったりとか、悪いことで落ち込まなくなったりとかとか、知らないうちに心が変わってきたんです。
松島 悪循環に入らなくなったって事ですかね?
仲村 そうですね。私の中で裏切らない無意識と、コミュニケーションが取れるようになったのが大きいです。
松島 NLPをお勧めしたいのはどんな人ですか?
仲村 生きにくい人ですかね。何かがあるから生きにくいとかではなく、不登校の人とかもカウンセラー行ったり、そういうサークルに行ったりして努力をしているけど何も変わらない人ですね。自分が変わらないといけないと思っていても、変わる方法がわからない人です。親子関係で、どうにもならなくて辛い日々を送っている人です。
凄く一所懸命ワークをやって変わるというのはわかりますけど、ココって、喋って、ランチ食べて、みんなと楽しくしている。それが知らぬ間に何かを変えているというのが凄いと思います。色んなところ行く気があるなら、NLPを学びに来て欲しいですね。
松島 今後はこうして行きたいというのはあるんですか?
仲村 今後は、カウンセラーとしてやりたいことがあるのでそれをやりたいです。癒すのは大事なんですけど、どうせ辛いのなら楽しみながら乗り越えたいっていうのが私の目標なんです。
例えば、話を聞いても現実は中々変わらないじゃないですか?だったら一緒に楽しめることを企画して一緒にやったりしたらいいんじゃない?と。
多動拒食症で動くことが心配なんだったら、お母さんと一緒に身体の負担が無いように運動したり。そういう崩れちゃった家族は、コミュニケーションとろうと思っても難しいので。拒食症の親子教室とかでやったら楽しいんじゃないかな?
楽しい状況でやったら、一瞬でお母さんが変わるじゃないですか?スキンシップがなかなか出来ないから、こういうのがあれば自然とスキンシップが取れるのでそういうのがいいなって。楽しいこともしながら、この状況を乗り越えたらいいなと。辛く乗り越えるか、楽しく乗り越えるかで現実は全然違うのかな?と。私は辛かったので。
松島 なるほど。自分の内面が変われば、現実も変わっちゃうんですけどね。お母さんたちが色々話が出来る場っていう事ですかね?
仲村 精神障害の集まりに行くといつも慰めあっているんですよね。慰めあってどうするの?と言うのがいつもあって。もちろん辛かったねと共感するのは大事だけど、じゃあこれからどうしていく?と発展的に発言しあえる場を作ってあげたいんです。
お話聞いてもらえる場は色々あります。お母さん大変だったねと言って貰える場は色々あるんだけど、大変だったねと言われたからって家帰ったら凄まじい現状があって、念仏のように唱えてじゃないと自分の家にいられないような状況だと、自分の経験から言うと1時間位しか持たないんですよね。アドバイスを聞いて守ろう守ろうとしていると、自分から黒い煙が出てくると今は思います。
守ろうと思うがゆえに、自分のストレスがいっぱいで。でも自分を守ろうとしている時は同じ言葉であろうと、息子にとっては怒っているとわかる言葉だったのかな?
松島 苦しんでいるお母さんたちが、楽に楽しくなってもらいたいという事ですか?仲村さんは生き証人ですからね。
仲村 そうそう!私こんなに苦しかったのに、若いときからなんで私こんなにイライラするんだろう?何でかな?何でかな?というのがありました。初めて言いますけど、私いじめられっ子じゃなくて、いじめっ子だったんです。小学校のとき。
でも、それがなんでかわからなかった。ただイライラしていました。影でいじめる子だったんです。そうそう。転校生とか、大人しめの子とかを。いじめられたんですと公表する人はいるけど、いじめたんですって言う人はあまりいないでしょ?なんかわからないけど、イライラしていたんです。
別にいじめたかったわけじゃない。なんかイラっとしていたんです。それは、今思うと寂しさの裏返しだったのだと思います。満たされない思いを親には言えないので、そういう子に八つ当たりをしていたんですね。それは大きくなってからわかりました。いじめる子とか見ると心が寂しいんだろうな。そういう表現しか出来ないことがかわいそうだなと。私は幼少期からのイライラが消えましたが。
今年に入ってから、自分自身が劇的に変わりました。先生の事務所で、こんな私はダメだったって言うのに気付いて。それまでずっとイライラしている私しか知らないから、短気な性格なんですよと思っていました。これは性格だからと。のんびりした性格があるように、私はイライラしやすくてカッとする性格なんですよと言って。
松島 自分を誤解していたんですね。
仲村 はい。私こういう性格だから。こういう短気な性格で、でもなんか疲れるなと。性格ではなく、根本にいろんな想いがあったと気づけたのはよかったです。男性に対してイライラしなくなって楽になりました。
どこに行っても男と女しかいない。今まで中世的な人が楽でした。喋っていて。仕事していても楽ですね。男と女しかいないじゃないですか?良好な感覚で働ける。今働いている教室が犬猿の仲の男性がいる教室で働いているんです。凄く嫌いだったんです。向こうも私を見ると怯える。あれを克服してから、気にならなくなって今では仲良くなっています。
松島 知らないうちに攻撃モードになっていたんでしょうね。
仲村 凄いイライラして、カーってなって。その子は私を見るといつも、すみません、すみませんと言って。それにまたイライラする。人って怯えている雰囲気を見てイライラするんだなと。その怯えた感じが、私の中では凄くイラってする。私見て怯えるの?って言うのでカーってなって。
わからないくらいイライラしていて、更年期障害だと思って心療内科にずっと行っていて、この2年間ずっと漢方を飲んでいました。ココに通うようになって、薬が余っています。いらなくなりました。こんなに変わるんだって、びっくりです。
松島 特にNLPは、生き証人が必要だと思うんです。知らない人がまだまだ多くて、成果について誤解されている方が多いんですよね。知らないので。
仲村 精神的なものをやっている人にNLPって何ですか?と聞かれたので、実は男の人が苦手だったんだと言ったら、「いつも仲村さんがわーって言っているので、また始まったと見ていました。でもそういう想いがあったんですね。」と言われました。お母さんがいつも怒っているみたいな感じで見ていたみたいです。
今はその男の子を見てもイライラしないし、ただ周りが私が怪獣みたいだと思っているので、仲村さんこれでいいですか?と確認してくることに、何か言わなきゃいけないのかな?と言うのはあります。息子のことを相談していた人達には、良かったねといわれます。「息子さん、今は喋るの?」と訊かれて、今は大学のことを話したりするよ。今まで心配かけたけど安定した暮らしをしているよと。今まで心配かけた人達に御礼を伝えています。
やっぱりどうしても、「何でそんなに変わったの?」と聞くじゃないですか?警察にも行って、色んなところに行っていることを知っている人は、そういう所に行っても変わらないっていう事を知っているから、何で変わったの?と。
松島 不思議に思うんですよね。真逆になったんですからね。
仲村 そう。「私は、今、人生の中で一番心がおだやかで軽くなって生きやすくなったよ。」と、知人に言っています。私の変わりように、みんな興味津々で、ココを検索していますよ。(笑)埼玉のサークルの人達はみんな調べていますね。私が必死の顔して来ていたのを見ているので変わったのを実感していますから。
NLPっていうのをやって、それだけで変わったの?と驚いています。私が一番本を読んで励まされたのが、自分自身が一番のモデルだということです。「そうだよね。この私が変わった。」
NLPは、いいと思うんだけど友達を誘いたいと時に先生から「仲村さんが変われば、周りの人がコレを学べばどうなるかわかってくれるから、まずは仲村さんが変わることが先だよね」って言われました。その時はどういう事かわからなかったんだけど、こういう事かな?と知識としてみなさんにお伝えしていけば、パソコンの時代なので、調べればわかっていくじゃないですか?
そうすれば何処かで繋がっていくかな?と実感しています。みなさんに、私の体験をお伝えすることで、辛い思いをされている方のお役に立てればうれしいなぁーと、思います。この1年は、私にとって気づいたら、変化していた!!すてきな1年でしたよ。
松島 仲村さん、今日はありがとうございました。
仲村さん(以下敬称略) 幼稚園の年中から小学校6年生までを対象にした塾の講師をしています。子育て支援のボランティアや保育サポートの支援もしています。
松島 学び始めたきっかけはなんですか?
仲村 最初は他社で心理カウンセリングの勉強をして、進路に悩んだときにそこの先生からNLPの講座が開講するという話をきいて、「きっと仲村さんはおもしろいと感じると思うよ」と言われたんです。半信半疑で行ったら、成果が目に見えて出るのでおもしろく、「やりたい、やりたい!」とずっと思っていました。その後何年か経ち、お金が無く、自分でも切羽詰っていなかったので、いつか・・・いつかと思っていました。
それから、息子の家庭内暴力がはじまり、警察、青少年センターにも行き、心理カウンセリングの勉強をしていたので、カウンセリングの先生にも相談に行ったのに何の手ごたえも無くどうにもならなかったんです。このままだと、このガラス1枚割ったら取り返しのつかない事態になるような気がしたんです。ここで何とかしないともうダメだと思ったんです。
自分の中で何十年と心理カウンセリングを勉強してきたからこそ、もう自分が変わるしか方法がないと思いました。色々やってきましたが、唯一自分が変わることが出来なかったからです。人の相談には乗れて、傾聴も出来たし励ますことも出来て、元気になりたい人は私のところに来たんですけど、そうしながらも自分が変われないと言うのが凄く苦しかったので、私に残されたのはNLPしかなかったんです。
3年か4年前に受講したときの即効性と、松島先生とちょっとやっただけなのに「なんじゃこりゃ??」っていう変化があったのを覚えています。即効性と持続性があると聞いてきたけど、今までこんなに頑張ってきて変わらなかった私が変わるわけ?と、はじめは意味がわからなかったですね。
でも、以前体験したときに自分の中でやりたいという気持ちが強く残っていて、他にも色々調べたんですが、自分が変わるにはココしかないなと思って、久しぶりに松島先生にお会いした時に、「仲村さんは疲れているのが当たり前になっているんじゃないですか。自分が楽な状態を知らないんじゃないですかね?」と言われました。私もそう思っていたので、更に先生に「簡単に楽になれたらいいじゃないですか?」と言われて、「確かに」と思って、本当に切羽詰っていたので、「だめもとでも行くしかないかな、ここしかない!」と思って飛び込んだら、本当に見る見る息子が変わっていきました。
松島 よかったですね。ベーシックコースにいらっしゃったのはいつでしたっけ?
仲村 確かちょうど1年前、去年の8月の終わりですね。7月くらいに先生たちにお会いして。そう7月22日です。私の誕生日でした。仕事も休んでいて収入も無かったので、どうしよう?とその時は冗談で話していたんですけど、でもその時に先生の一言と、ずっと努力してきたのに変われなかったのにそんなことがあるのかと思いました。
以前体験した後、次の週に仕事に行ったら自分でも変化を感じていて、さらに第三者が私の変化を認めた時に、心の中でガッツポーズしていました。
松島 自分がわからなくても、周りの方が気づいたりしますからね。
仲村 穏やかな気持ちだったので、第三者は気づかないだろうと思っていました。これは私の中だけの成果だと思っていたら、職場のベテランの講師と教師が「今日は〇〇君、落ち着いて授業できていたね。」って笑顔で言われたんです。それで、「NLPって凄い!!」って思いました。
色んな場面で試して行ったら変化していったので、家庭の中に持ち込んでみたいなと思っていました。1年前は本当に酷い状態で、辛いとかそういう事ではなかったので、そんなことやっている間に息子に殺されるかもしれないっていう感じでした。NLPをやりながらも色んな人に相談したりとかしながら積み重ねて行きました。
松島 そうだったんですね。では変化としては、どのようなものがありましたか?
仲村 私が変えたいことは息子だけで、まさか他のことも出てくるとは思わなかったです。最初は家を空けることが怖かったです。以前、家に内鍵がかかっていて入れなかったことがあったので、受講が終わって帰ると7時過ぎで息子の方が先に帰ってきちゃうので、1日出かけるのはどうしようかなと思っていました。帰るときにいつも、今日は入れなかったらどうしようと。
息子より帰る時間が遅くなる日は、友達にメールをして『今から家に帰るんだけど、もし家が空いてなかったら友達の家に行かせてね』と送っていました。友達と連絡がつかない時は、喫茶店とかで過ごして朝になると学校に行って息子がいなくなるので、見計らって、家に戻ることが昔あったので、受講に来るときは、お金より何よりそこに躊躇していたんです。「今日大丈夫かな?今日大丈夫かな?」と、いつも不安でした。
でも、あるときドアが開いていて、息子は普通にテレビを見ていたのに驚きました。私の中で裏切らない無意識と、コミュニケーションが取れるようになったのが大きいです。
松島 前は、息子さんと一緒にいないとおっしゃっていましたもんね。
仲村 そうなんです。家に帰れば息子がすぐにご飯を食べられるように、好きなものを買って帰ると決めていました。前は、お腹すいているはずなのに、これ見よがしに食事が捨ててあるんですよ。「ご飯買って来たけど食べる?」って置いていても一緒には食べなかったんです。
でも、ちょっとずれて食べたりとか、台所で立って食べたりとか、一人で食べたりとかするようになってきました。受講を始めてから、「お弁当買って来たけど食べる?」と言うと一緒に正面に座ってもくもくと食べて部屋に行くこともありました。
一番変わったのは、息子の黒い煙が取れたことです。息子の周りの空気が黒かったんです。1点を見て座っているその目が怖くて、犬も震えるくらいでした。犬がブルブルと震えるようになって本当にやばいなと思っていました。他に相談したところでは、落ち着きますからとか、お母さん神経質ですよとか、反抗期と言われました。そういう問題じゃなく、息子が意識していないところで「こいつを痛めつけてやろう」とか、そうやって思っているような気がしてなりませんでした。
それが学びに行って、ちょっとずつ変化していったんです。それでもリビングで息子がアイスを食べたりしていることに、私はまだビクビクしていて。
私は息子に背を向けてテレビを見ているんですけど、後ろから何かされるかもしれないと思っていました。そんな時は、ずっと「平常心、平常心」と思いながら、ここで怯えちゃいけないとお笑い番組を見て、「お母さんは平気よ」とか、平常心を保つのに必死でした。
でも、ある日、息子が夕飯を食べ終わった時、動かないので怖いなと思ったら、息子が後ろのテーブルのところで同じテレビを見ていました。小さなことですけど、細かいことの積み重ねでその内段々息子が首を立てに振るようになり、私が作ったものも食べるようになり、洗濯物を取り込んでおいてと言えば授業から帰ってきたら洗濯物が取り込んであったりとか、犬が怯えなくなったりとか、いつしか煙が取れました。
でも喋らないし、私が言う事に無視、ちょっとよくなったのかな?と思って喋りかけるとシカトみたいな。そんな繰り返しでした。
今年に入ってから、首を縦横に振るようになって、うんという言葉がついてくるようになって、でも機嫌が悪いと何も言わない。私が作ったものに関しては、捨てることはしなくなりました。
今は会話をするようになって、これどうなの?と聞いたら、単語を言うようになって、夏ちょっと過ぎくらいから会話になり、私は息子がしゃべったことにビックリしました。
丸々1年かかって、大学どうなの?と聞けば大学の話をしてくれて。免許も自分のお金で取りに行っていて、今年の9月には二十歳になりました。ハッピーバースデーの歌を歌ったら、笑って。写真取るよと言えば今までは逃げたのに、逃げることも無く、みんなでケーキを分けてお姉ちゃんとも会話をしていました。
松島 息子さんはお姉さんとも会話が無かったんですよね。
仲村 お姉ちゃんもそういうのを見るのが嫌だから息子をバカにしていたんですよ。「あんなやつ出て行けばいい。最低。ただのわがまま!」と言って家に帰って来なかったです。主人も単身赴任だし、みんなバラバラで。息子が嫌で私は1回家出もしたことあるんですけど。本当にパンツだけ持って出たものの何も自分のものが無くて困ったという事もありました。
この間はお姉ちゃんの誕生日だったので、かにを食べに行きたいというので行きました。会員カードに家族の誕生日を書くことがあり、そこに10月誕生日と書いてあったのを見て、お店の人が気を使ってくれて小さいケーキを持ってきてくれて「写真も取ってあげますよ」と言ってくれたんですよ。
「うちは写真を撮るような家族じゃないよ!」って思った時に、私は世間体を気にしていると気がついたんです。どうしようと思っていたら、息子が写真撮る位置に移動してみんなで撮ったんです。その写真を見たら、ちゃんとピースしていたんです。
松島 何年ぶりの写真なんですか?
仲村 10年以上かな?主人がカメラマンだったりして4人での写真は無かった。お姉ちゃんは拒食症で私と接するのが絶対嫌だったんです。親子で撮った写真が無かったですね。私と2人というのは無いんです。でも、娘も凄く変わってきて、今は娘の方が「お母さんどこどこ行こう」とか言ってくれて、今月も旅行に行くんですよ。
写真も嫌がらずに、娘も変わって息子と話すようになりました。
息子も来年は大学3年生なので将来のことを考えている話や、必要なことは伝えてくれるようになって、私も素直に喜べるようになりました。
「免許どうだった?」と聞いたら受かったというので、何も考えずに「よかったね~」と言えて、免許見せてよと言いつつ、どうせシカトだなと思ったら、免許証を見せてくれて。
そしたらお姉ちゃんも「何この写真!!」とか言って盛り上がって、本当にこういうのを私は待ち望んでいたんだなと思いました。小さい頃から無理してこういう場面を作ろうとしていたので、無理して作らなくても自然に笑える。
息子にも「今まで辛い思いさせて申し訳なかったね」と謝れたし、娘も摂食障害の時に命の危機で大変だったけど、今は復活して働いています。
摂食障害の専門の先生に、うちの子も死ぬか生きるかの所でここに来たんですと言ったら、「それはお宅の娘さんの生命力なんですよ」と言われたときに、ふと無意識のことが思い浮かんで。「そうだ!生かしてくれていたんだ!」と気づきました。
娘の心臓を動かしてくれていたのは、娘の内面だなという事に気づいて。今までは外にばっかりお礼を言っていた。近所の人とか周りにはお礼を言っていたけど、一番は彼女の心臓とかを動かしてくれていたのは彼女の無意識なんだなと気づきました。
娘に無意識シグナル(NLPのスキル)をやってみました。娘はよくわからなかったみたいなんですけど。娘は今だから、すって入ったみたいで。今あなたがこうして生きているのは、みんなのおかげでもあったけど、拒食症の時は、この子倒れるはずなのに、心臓とか、腎臓とかが人よりも強い。
その時は心臓とか腎臓が強いだけだと思っていたけど、彼女の心臓とか腎臓を動かしてくれていたのは彼女の無意識が一所懸命頑張ってくれていたんだなとその時改めて気付きました。
今まで気になっていたことが1つ1つクリアになっていって、娘にも自分が困ったときに無意識に聞いてごらんと教えたり。
娘は仕事の事とかをあまり言わないんですけど、仕事や人間関係のことをポロっと言ってくれました。「仕事の上とかで、どうしても避けられないことや嫌な人に出くわすと思うんだよね。その人に死ねとか言っても変わらないけど、あなたの状態が変わればそういうことに気にならなくなるから、自分に語りかけてごらん。」と伝えました。娘はうんうんと聴いてくれました。
「無意識は自分自身を絶対に裏切らないんだよ」と言ったら、凄く納得したと言うか。自分自身と会話すると絶対上手く行くから、ブログ書いてこうやって自分の夢に向かっていけるのも、お母さんはいつも自分自身と対話して、「今日もありがとう」と言って今まではそういう事が出来なかったけどあなたも将来やりたいことがあるでしょう?それを自分にお願いすると叶っていくよ。」と伝えたんです。
息子は暴れている時「傷ついているんだ!!」と叫びました。ずっと謝りたかったんです。でも今までは謝れなかったんです。どのタイミングで言おうかなと思った時に、二十歳の誕生日だなとずっと心に決めて、ちゃんと言うのは恥ずかしかったので、何となくリビングでゴロゴロしている時に、「傷つけて悪かったね。二十歳になったので、これからは自分のやりたいことをがんばりなさい。」と伝えました。
自分の中では、息子や娘に謝れたということが、とても大きな喜びでした。私はこういう状況を願っていたんです。
食卓を囲って、そこが小言の場ではなく、それ食べる?これ食べる?とか言って、この間も娘の誕生日の時にケーキを買って来て今年は丸いケーキを二度も買ってくることになって。何十年ぶりに食べました。
冗談を言うと、息子がニヤと笑うようになって、それが求めていたことなのかなって思います。娘が「お母さんがずっと求めていたことっていうのが、ひとつひとつ叶って来たんだね」と言ってくれました。心に響いたかどうかはわからないんですけど。「あなたもそうやってごらん」と話をしました。やっと49年目にしてここまで来られました。そう思うとココに習いに来なかったら、今頃、男性不振に悩み、男の人にカリカリし、旦那さん、息子にカリカリし、娘も家庭の中で何かあったときに不幸な人生を歩まなければいけなかったかもしれないと思います。
あんなに苦しんで、何十年カウンセリングを学び、ロールプレイもし、カウンセラーと名のつく本を出しているような先生とお話をしてきたのに、何も納得できなかったのは何だったんだろうと思います。
「それがあったから今があるんじゃなない?」と言われますけど、「あの何十年は何だったんだろう?」と夢のようです。1年でこんなに変わるなんて・・・。
別に凄いまじめにやっていたわけではないんです。楽しんで1日すごして、自分を認められるようになって、沈んだときにどうやって過ごせばいいかを考えられるようになって、どうでもいいことはどうでもいい事として考えられるようになったりとか、悪いことで落ち込まなくなったりとかとか、知らないうちに心が変わってきたんです。
松島 悪循環に入らなくなったって事ですかね?
仲村 そうですね。私の中で裏切らない無意識と、コミュニケーションが取れるようになったのが大きいです。
松島 NLPをお勧めしたいのはどんな人ですか?
仲村 生きにくい人ですかね。何かがあるから生きにくいとかではなく、不登校の人とかもカウンセラー行ったり、そういうサークルに行ったりして努力をしているけど何も変わらない人ですね。自分が変わらないといけないと思っていても、変わる方法がわからない人です。親子関係で、どうにもならなくて辛い日々を送っている人です。
凄く一所懸命ワークをやって変わるというのはわかりますけど、ココって、喋って、ランチ食べて、みんなと楽しくしている。それが知らぬ間に何かを変えているというのが凄いと思います。色んなところ行く気があるなら、NLPを学びに来て欲しいですね。
松島 今後はこうして行きたいというのはあるんですか?
仲村 今後は、カウンセラーとしてやりたいことがあるのでそれをやりたいです。癒すのは大事なんですけど、どうせ辛いのなら楽しみながら乗り越えたいっていうのが私の目標なんです。
例えば、話を聞いても現実は中々変わらないじゃないですか?だったら一緒に楽しめることを企画して一緒にやったりしたらいいんじゃない?と。
多動拒食症で動くことが心配なんだったら、お母さんと一緒に身体の負担が無いように運動したり。そういう崩れちゃった家族は、コミュニケーションとろうと思っても難しいので。拒食症の親子教室とかでやったら楽しいんじゃないかな?
楽しい状況でやったら、一瞬でお母さんが変わるじゃないですか?スキンシップがなかなか出来ないから、こういうのがあれば自然とスキンシップが取れるのでそういうのがいいなって。楽しいこともしながら、この状況を乗り越えたらいいなと。辛く乗り越えるか、楽しく乗り越えるかで現実は全然違うのかな?と。私は辛かったので。
松島 なるほど。自分の内面が変われば、現実も変わっちゃうんですけどね。お母さんたちが色々話が出来る場っていう事ですかね?
仲村 精神障害の集まりに行くといつも慰めあっているんですよね。慰めあってどうするの?と言うのがいつもあって。もちろん辛かったねと共感するのは大事だけど、じゃあこれからどうしていく?と発展的に発言しあえる場を作ってあげたいんです。
お話聞いてもらえる場は色々あります。お母さん大変だったねと言って貰える場は色々あるんだけど、大変だったねと言われたからって家帰ったら凄まじい現状があって、念仏のように唱えてじゃないと自分の家にいられないような状況だと、自分の経験から言うと1時間位しか持たないんですよね。アドバイスを聞いて守ろう守ろうとしていると、自分から黒い煙が出てくると今は思います。
守ろうと思うがゆえに、自分のストレスがいっぱいで。でも自分を守ろうとしている時は同じ言葉であろうと、息子にとっては怒っているとわかる言葉だったのかな?
松島 苦しんでいるお母さんたちが、楽に楽しくなってもらいたいという事ですか?仲村さんは生き証人ですからね。
仲村 そうそう!私こんなに苦しかったのに、若いときからなんで私こんなにイライラするんだろう?何でかな?何でかな?というのがありました。初めて言いますけど、私いじめられっ子じゃなくて、いじめっ子だったんです。小学校のとき。
でも、それがなんでかわからなかった。ただイライラしていました。影でいじめる子だったんです。そうそう。転校生とか、大人しめの子とかを。いじめられたんですと公表する人はいるけど、いじめたんですって言う人はあまりいないでしょ?なんかわからないけど、イライラしていたんです。
別にいじめたかったわけじゃない。なんかイラっとしていたんです。それは、今思うと寂しさの裏返しだったのだと思います。満たされない思いを親には言えないので、そういう子に八つ当たりをしていたんですね。それは大きくなってからわかりました。いじめる子とか見ると心が寂しいんだろうな。そういう表現しか出来ないことがかわいそうだなと。私は幼少期からのイライラが消えましたが。
今年に入ってから、自分自身が劇的に変わりました。先生の事務所で、こんな私はダメだったって言うのに気付いて。それまでずっとイライラしている私しか知らないから、短気な性格なんですよと思っていました。これは性格だからと。のんびりした性格があるように、私はイライラしやすくてカッとする性格なんですよと言って。
松島 自分を誤解していたんですね。
仲村 はい。私こういう性格だから。こういう短気な性格で、でもなんか疲れるなと。性格ではなく、根本にいろんな想いがあったと気づけたのはよかったです。男性に対してイライラしなくなって楽になりました。
どこに行っても男と女しかいない。今まで中世的な人が楽でした。喋っていて。仕事していても楽ですね。男と女しかいないじゃないですか?良好な感覚で働ける。今働いている教室が犬猿の仲の男性がいる教室で働いているんです。凄く嫌いだったんです。向こうも私を見ると怯える。あれを克服してから、気にならなくなって今では仲良くなっています。
松島 知らないうちに攻撃モードになっていたんでしょうね。
仲村 凄いイライラして、カーってなって。その子は私を見るといつも、すみません、すみませんと言って。それにまたイライラする。人って怯えている雰囲気を見てイライラするんだなと。その怯えた感じが、私の中では凄くイラってする。私見て怯えるの?って言うのでカーってなって。
わからないくらいイライラしていて、更年期障害だと思って心療内科にずっと行っていて、この2年間ずっと漢方を飲んでいました。ココに通うようになって、薬が余っています。いらなくなりました。こんなに変わるんだって、びっくりです。
松島 特にNLPは、生き証人が必要だと思うんです。知らない人がまだまだ多くて、成果について誤解されている方が多いんですよね。知らないので。
仲村 精神的なものをやっている人にNLPって何ですか?と聞かれたので、実は男の人が苦手だったんだと言ったら、「いつも仲村さんがわーって言っているので、また始まったと見ていました。でもそういう想いがあったんですね。」と言われました。お母さんがいつも怒っているみたいな感じで見ていたみたいです。
今はその男の子を見てもイライラしないし、ただ周りが私が怪獣みたいだと思っているので、仲村さんこれでいいですか?と確認してくることに、何か言わなきゃいけないのかな?と言うのはあります。息子のことを相談していた人達には、良かったねといわれます。「息子さん、今は喋るの?」と訊かれて、今は大学のことを話したりするよ。今まで心配かけたけど安定した暮らしをしているよと。今まで心配かけた人達に御礼を伝えています。
やっぱりどうしても、「何でそんなに変わったの?」と聞くじゃないですか?警察にも行って、色んなところに行っていることを知っている人は、そういう所に行っても変わらないっていう事を知っているから、何で変わったの?と。
松島 不思議に思うんですよね。真逆になったんですからね。
仲村 そう。「私は、今、人生の中で一番心がおだやかで軽くなって生きやすくなったよ。」と、知人に言っています。私の変わりように、みんな興味津々で、ココを検索していますよ。(笑)埼玉のサークルの人達はみんな調べていますね。私が必死の顔して来ていたのを見ているので変わったのを実感していますから。
NLPっていうのをやって、それだけで変わったの?と驚いています。私が一番本を読んで励まされたのが、自分自身が一番のモデルだということです。「そうだよね。この私が変わった。」
NLPは、いいと思うんだけど友達を誘いたいと時に先生から「仲村さんが変われば、周りの人がコレを学べばどうなるかわかってくれるから、まずは仲村さんが変わることが先だよね」って言われました。その時はどういう事かわからなかったんだけど、こういう事かな?と知識としてみなさんにお伝えしていけば、パソコンの時代なので、調べればわかっていくじゃないですか?
そうすれば何処かで繋がっていくかな?と実感しています。みなさんに、私の体験をお伝えすることで、辛い思いをされている方のお役に立てればうれしいなぁーと、思います。この1年は、私にとって気づいたら、変化していた!!すてきな1年でしたよ。
松島 仲村さん、今日はありがとうございました。
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